明日地球は滅びるとも、私は今日リンゴの木を植える
2021.01.29
明日地球は滅びるとも、私は今日リンゴの木を植える
ドイツの宗教改革者
ルターさん
の有名な言葉の一つ
今回書きたかったのは、
それを受けて、映画「感染列島」で言われた
例え明日地球が滅びるとも、今日君は林檎の木を植える
参考:映画「感染列島」
これは、正直
グッとくるものがあった
どこが違うかって
私は今日 → 今日君は
ここの違い。
そもそもの解釈として
幸せは何気ない日常の中にあり
他者からの中長期的な見返りや成果だけでなく
自ら見つけ続けることにある
将来の希望を育てる行為が大切
どんな状況に置かれようとも、
私にできることは
私の一歩を踏み出すことだけ
今、自分にできることを
精一杯やっていこうという決意
そもそもの解釈としてはしっくりきます。
明日地球は滅びるとも、私は今日リンゴの木を植える(意地を感じる)
明日地球は滅びるとも、今日私はリンゴの木を植える(ちょっと重くなる)
明日地球が滅びるとも、今日君はリンゴの木を植える(希望を託す)
明日地球が滅びるとも、君は今日リンゴの木を植える(はかなさを感じる)
この一文は、
太字の部分を入れ替えるだけで
イメージが全然変わる( )で主観を書いてみた
考えれば考えるほど、感じ方が入替ったりします。
コレを議論してくれる方、
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